祖国と母国とフットボール

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在日コリアンのサッカー選手の多種多様な生き様とその背景にあるそれぞれの苦悩を通して「見えない存在」であった在日コリアンが見えてくる。

 

韓国Kリーグでプレーするため韓国籍を取得する選手、韓国籍や日本国籍への変更を拒否し夢を断念したかつての選手、日本国籍を取得し日本代表として出場した選手、韓国籍で朝鮮代表になった選手、朝鮮籍のまま韓国Kリーグでプレーし朝鮮代表としてW杯でプレーする選手…

 

共通するキーワードは国籍。

朝鮮籍、韓国籍、日本国籍。

なぜこうも国籍が複雑に絡むのだろうか。彼らは純粋にサッカーをしたいだけなのに。

 

国籍の変更を外国人登録証上の表記が変わるだけで自分自身何も変わるわけでもないと何のためらいもないという人がいれば、”見えない何か”を守るべく抵抗する人がいる。

 

もちろん在日コリアンだからと、かく生きるべきという正解などは存在しない。ましてやそんなもの押し付けられたくもないだろう。何が正しく何が間違っているなどと評価するのは意味がないし、評価する資格など誰にあるのだろうか。

著者の弟が言うように、

いろいろ事情もあるだろうけど、主義や思想、国籍とか出身校とかで、在日が在日を区別するなんておかしいしナンセンスだと思う。

我々もそろそろ「在日コリアン2.0」にバージョンアップしましょう。(定義は不明)

 

いずれにせよ道を拓いてきた在日コリアンフットボーラーから我々も多くを学び逞しくしたたかに生きなければと思うし、同時に多くの日本人にも彼らの光と影を通してもっと在日コリアンに対する理解を深めていただけたらと思う。

韓国でも翻訳出版されたみたいです。

우리가 보지못했던 우리 선수

 

本書には彼らの多くの発言が紹介されているがどれも重みがあり同じ苦悩を抱き”見えない何か”を守る僕の胸にズシリと響く。ただ、個人的にはテセとヨンハギの考え方に強く共感する。息苦しいこの社会でなかなか言えない言葉である。本当に素晴らしい言葉をありがとう。Retweetさせてください。(笑)

 

鄭大世

オレは朝鮮学校で育ったから自分が”在日”であるということをしっかり自覚できたと思う。自分が何者であるのかという強い気持ちを持てるようになった。日本でマイノリティとして生きていくために必要な、ぶれない軸とか信念をウリハッキョで学びましたね。

 

オレにとって朝鮮は、親のようなもんなんですよ。親が悪いことをしたからといって、血のつながった縁が切れるわけじゃない。嫌いだからといって捨てられるわけじゃないし、むしろ一緒に生きていかなきゃいけない存在でしょ。親だから悪口を言われると味方したくなるし、弱い立場にいるんだったら助けてあげたくなるし、応援したくなるのが普通じゃないですか。当然、オレを育ててくれたのだから、親を裏切ることもできない。朝鮮を裏切れないし、朝鮮を祖国だと思って生きてきた自分をオレは裏切れない。

 

オレの母国は日本じゃない。日本の中にもうひとつの国があるんですよ。それが”在日”という国。朝鮮でも、韓国でも、日本でもない”在日”という国が、オレにとっての母国なのかもしれない。そして、その在日という存在を、広く世に発信するのが、オレのテーマなんじゃないかと思う。

安英学

我ながら自分のポジションって面白いし、いいなぁと思ったりします。日本も韓国も朝鮮のことも知っているから、どちらの立場にもなれるし、自分を通じて互いの誤解や偏見をなくすこともできる。

 

在日に生まれて本当に良かったと思います。朝鮮や韓国のことも、日本ともかかわっていける。どちらの立場も理解できるし、尊重できるし、橋渡し役にもなれる。国境という境界線があるなら、その境界線に立てるのが在日のメリットだと思うんです。

 

朝鮮と韓国、韓国と日本、日本と朝鮮。政治的になかなかうまくいかないけど、みんなが本当に仲良くしてくれればと切に思います。争うのではなく、お互いを尊重しあって、お互いをわかりあってほしい。サッカーでそれができるのだから、国としてもできると思うんですよ。

最後にひとつ欲を言えば我が同級生の星である元Jリーガー 黄学淳(ファン・ハッスン)の記事がもう少し欲しかったです(笑)

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